WILL Telling -Vol.2-

『WILL Telling -Vol.2-』

「日本の外観を社会の財産にしたい」と、始まったウイルウォールの開発。その背景には、戦後の社会情勢やそれに伴う人々の価値観の変化によって、日本にかつて多く存在した自然素材による外観-土・石、そして木が徐々に少なくなっていく。それを復興させたいという強い想いがありました。

江戸末期から明治にかけて日本を訪れた外国人は、日本の景観は世界に類を見ない、絵のようだと感嘆したほどの美しさだったと言われています。元来、日本の住宅は、各地域の歴史や自然環境、そして街に住まう人々との調和が大切とされてきました。外壁は、その街の景観を示すシンボルとして重要な役割だったのです。

鎖国が終了し、西洋の文化が導入され建材・建具を輸入し、洋館が建てられるようになります。モルタルを始めとするセメント系の仕上げは、西洋建築の石灰を使用したレンガ積みが始まり。明治時代は西洋の建築方法が取り入れられ、コンクリートや石膏プラスターといった材料も使用されてきました。

古来の日本建築はその土地の自然素材を材料として住宅を設えていたため、その風合いの経年変化が美しいとされてきましたが、その反面で西洋建築には無い大きな弱点がありました。日本の建築は燃えやすい材料がほとんどで、火事になると瞬時に燃え広がり、周囲の家々にも延焼してしまう。そのような中、明治時代に入ってきた西洋建築のモルタルを始めとするセメント系材料の不燃性が注目されます。

戦後、焼け野原となった経験から住宅における防火性能の必要性が一層強く認識されるようになります。1950年に建築基準法が制定されると、外壁としてモルタル外壁を使用した住宅の規格化・工業化が進み、全国に普及します。その後、セメントと繊維質などの原料を板状にした窯業系外壁が誕生。多彩なデザインと質感を表現でき、さらには耐震姿勢や耐火性に優れていることから、阪神・淡路大震災以降の日本の住宅の多くはこの窯業系の外壁が主流となっていきます。

このように、街の風景には幾層にも時代変化が積み重さなっている一方で、何百年と残る建築も世界中に存在し、地域のシンボルとして住まう人々のアイデンティティに依拠しているのです。

チャネルオリジナルが創設した1998年。私たちが日ごろ何気なく目にする街の風景が、窯業系のレンガ調や木目調のデザインへと変わりゆく時代に、木製防火外壁「ウイルウォール」は誕生しました。この商品を社会に広めたいという想いは単なる「自然素材の連呼」ではありません。現在の住環境やこれまでの歴史を辿ると、防災面の安全性が不可欠です。そのまま昔に帰るのではなく、「今」に適した性能を持って自然に還る木造外壁がウイルウォールなのです。

家の外観に映し出されるのはその国や地域のアイデンティティだと考えます。古くから自然を再生し構想する日本の建築は世界に誇る優れた個性。「日本の外観を社会の財産へ」という弊社のスローガンには、ウイルウォールで施工した家が100年、200年経っても街に佇み、そこに根づく日本の社会や文化の記憶を未来へ継承する象徴となることへの願いを込めているのです。(hieshima)